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高松高等裁判所 昭和43年(う)402号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

〈前略〉

一刑法の総則規定は他の法令において刑を定めたものについても原則として適用され(刑法八条本文)、その適用を排除するにはその旨の特別規定を必要とする(同条但書)のであつて、この理は総則規定たる刑法三九条についても変わるところがない。ただ右にいう「特別の規定」とは、必らずしも明文の規定たることを要せず、当該法令の趣旨、目的等からみて解釈上総則規定の適用を排除し得る正当理由が認められる場合をも包含すると解せられるので、明文の特別規定が存しない本件について解釈上刑法三九条二項の適用を排除し得るかどうかが問題となる訳である。

そこで進んでこの点を考えてみるのに、先ず道路交通法一一七条の二にいう酒酔い運転の罪は、なるほど飲酒酩酊により正常な運転ができないおそれのある状態で自動車を運転することによつて成立する犯罪であつて、所謂酒酔い状態をその構成要件要素とし、行為者の行為能力も酩酊により正常な運転ができないおそれのある程度に減退していることを属性とする特異な犯罪類型である。そしてこのような犯罪類型が設定されるに至つたのは、所論も指摘するように、酒酔い運転が交通事故に直結する高度の危険性をもつた反社会的行為であつて、交通の安全確保のためには厳にこれを取締らねばならない必要があるためにほかならない。従つてこの犯罪においては、酩酊の度合が高くなければなるほど違法性の程度も高度となり、これに即応して可罰評価も増大する筋合であつて、もしこの罪に刑法三九条の適用を認めると、所論も指摘するように、比較的軽度の酒酔い運転はその度合に応じて順次重く処罰されるのに反し、酩酊の程度が心神耗弱乃至喪失に達する重い酒酔い運転は却つてその刑責を軽減され、さらには罪責さえも免れるという一見奇異な結果を招来することを避けることができない。

然しながら、酒酔い運転の罪は、なるほど酒酔い状態を犯罪構成上の要素とするものではあるが、ここにいう「酒酔い」とは、正常な自動車運転ができないおそれのある程度(もつとも政令で定める程度以上のアルコールを身体に保有することを要する)に達すれば足りるのであつて、もとより完全責任能力のある場合を包含するものである。ところで刑法にいう心神耗弱とは是非善悪の弁識能力を著しく欠く精神状態をいい、心神喪失とはその能力を全く失つている状態をいうのであるが、このような状態は酒酔いの極限又はそれに近い状態にほかならないものと解され、通常一般の酒酔い運転の多くはこの埓外にあるものと考えられるのであつて、酒酔い運転を処罰する道路交通法一一七条の二の規定が、飲酒酩酊により心神耗弱乃至喪失の状態に陥つた者の運転行為を特に処罰するために設けられたとは解されない。

また酒酔い運転の罪について刑法三九条の適用を認めると、さきにも述べたような一見奇異な結果を招来することを否定し得ないが、その反面、この罪について同法条の適用を排除すると、飲酒時には全く自動車の運転を予想しなかつた者が、その後酩酊して心神耗弱乃至喪失の状態に陥り、このような限定責任能力乃至責任無能力の段階で始めて自動車の運転を思い立つてその実行に及んだ場合にも無条件に全面的な罪責が追求されるという一種の結果責任を肯認せざるを得ないこととなる。然しおよそ犯罪が成立し、刑事責任が生じ得るためには、その者が行為時にその負荷にふさわしい責任能力を具備していることが必要であつて、この所謂「行為と責任の同時存在」の原則は近代刑法における基本原理である。飲酒者が飲酒開始の時点において既に後刻自ら自動車を運転することを決意し又は予見しているような場合には、たとえその者が後刻心神耗弱乃至喪失に陥つて自動車を運転しても、所謂原因において自由なる行為の理論によつて完全な罪責を問うことが可能であり(なお、この理論は刑法三九条の不適用を前提とするものではなく、むしろ同条が適用されることによつて生ずる実際上の不都合を補正しようとする機能を有するものと解される)、それによつて行為と責任の同時存在の原則が侵されたことにはならないであろうが、心神耗弱乃至喪失の状態に陥つたのち始めて自動車運転の決意を生じてその実行に及んだ場合に刑法三九条の適用を排除することは、右の責任原理を放棄し、さらにはまた飲酒による酩酊それ自体を有責視することに帰するものといわざるを得ない。刑法八条にいう「特別の規定」が必らずしも明文の規定たることを要しないとはいえ、ただ単に法令の趣旨とか取締の目的とかいう漠然とした理由から解釈上たやすくこのような責任原理に反する結論を導くことは、罪刑法定主義の趣旨にもそぐわないおそれがあり、俄かに賛同することができない。そしてこの理は刑法二一一条(業務上過失致死傷罪)についても同様であつて、以上を要するに、酒酔い運転の罪及び業務上過失致死傷罪については解釈上刑法三九条の適用を排除し得べき十分な理由を肯認し難いものといわなければならない。

二次に、道路交通法一一八条一項、六四条の無免許運転の罪について考えてみるのに、同法一二二条は、車輛等の運転者が無免許運転等の交通違反を犯した場合に酒気を帯びていたときは、右無免許運転等について定める刑の長期又は多額の二倍までの刑をもつて処断することができる旨を規定している。それは、広義の酒気帯び運転のうち、所謂酒酔い運転のみが現行法上処罰の対象とされ、それに至らない軽度の酒気帯び運転は処罰されないたてまえとなつているところから、このような軽度の所謂酒気帯び運転に際して犯される一定の交通違反の危険性に着目して設けられた規定である。即ちこの所謂酒気帯び運転は、本来法の禁止するところであり(同法六五条)、道路交通の安全性を阻害するおそれもあるので、このような状態において所定の交通違反を犯した場合には、裁判官の裁量により本来の所定刑の二倍まで刑を加重し得ることとして酒気帯び運転による道路交通上の危険を防止しようという趣旨のものである。従つてこの所謂倍加規定は、所謂酒酔い運転に至らない、より軽度の所謂酒気帯び運転がなされた場合に関するものであつて、運転者が所謂酒酔い状態に達している場合には最早やその適用はないものと解せられるのである(そのように解しないと、所謂酒酔い状態で無免許運転をした場合、一方では道路交通法一一七条の二の酒酔い運転の罪が成立し、他方では同一二二条により無免許運転罪((同法一一八条一項、六四条))の刑の倍加措置がなされ得ることとなつて、一個の酒酔い運転が二重に処罰される事態が生ずることにもなる。)。それ故この倍加規定が、所謂酒気帯び運転の場合のみならず、進んで所謂酒酔い運転全般の場合にまで適用があると解し、これを前提にして本件無免許運転の罪につき刑法三九条二項の不適用を云為する所論の主張は既にこの点において失当たるを免れないものといわなければならない。

三、そこで以上の判断を前提にして本件を按ずるに、記録によれば、被告人は、原判決も認定しているように、本件当夜友人と共に徳息市内の洋酒喫茶店等で多量のビールや清酒を飲んだため、したたか酩酊して心神耗弱の状態に陥り、眠気を催したので、たまたま実弟が運転して来た普通貨物自動車が飲酒先附近の路上に駐車してあるのを奇貨とし、これに乗りこみ一休みしているうち、酔余俄かにこの自動車の運転を思い立ち、よつて本件の各犯行に及んだものであることが明らかである。即ち被告人は、飲酒開始の時点においては自動車の運転を全く予期しておらず、その後酩酊して心神耗弱の状態に陥つた段階で始めてその意思を生じ、これを実行するに至つたものであつて、本件については、所謂原因において自白なる行為の理論を適用すべき余地はなく、さきに判示したところに照らし刑法三九条二項を適用してその刑責を減軽せざるを得ないものである。これと同趣旨の結論に出た原判決は正当であつて、論旨は採用することができない。〈以下略〉(小川豪 越智伝 小林宣雄)

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